演劇パビリオンARCHIVES

演出ノート

『演劇パビリオン』期間中、日々のできごとは、ウェブ上の共有フォルダに「日誌」として記されていた。「俳優」として日替わりでカウンターに入るメンバーによって詳細に記述され、時には他のメンバーからコメントが寄せられた。以下はその膨大な日誌の中から、センター長・市原幹也のコメントを軸にして再構成したものであり、『演劇パビリオン』の「演出ノート」としての性格も帯びている。 先に、他のページを読むことをオススメしたい。この日誌は再構成といっても、ほぼ時系列のままになっている。ウェブで閲覧するには冗長すぎることは承知しているが、この日誌に関しては、広範な読者を獲得するような読みやすさを担保する必要はほぼないと考えた(やるなら誰かに小説にしてもらったほうがいい)。速読法ではおそらく小説の醍醐味がわからないように、ショートカット的な思考だけでは、場をつくっていくことはたぶんできない。ここにどのような時間や思想が流れていて、どんな葛藤があったのか、感じてくれたら幸いです。うまくチューニングが合いさえすれば、面白い読み物として見えてくることもあるでしょう。いつかの未来の誰かに引き継がれることを願って。
(アーカイブ担当:藤原)

市原 幹也2014/9/16(火) 11:50

ここのテキストは、運営に携わっているひとそれぞれの問題意識とぶつかって、日常が多面的に切り取られているようで、とても有意義だと思います。
新しく参加する方も増えてくるので、ぼくからの提案や元々あったインストラクションを返信にて書き込み、少し厚みをもたせるようにしてみます。
みなさんも、返信を利用して思ったことを気軽に発言してみてはいかがでしょうか?

市原 幹也2014/9/16(火) 11:55

 

二階について

【森8/26】二階でHちゃんたちが鉛筆とはさみを投げて天井の上にのせてしまう事故が発生。はさみを投げたことを厳しく叱るも反省の色なし。はさみはそのときに回収、鉛筆はS山さんがあとで回収するとのこと。子どもが大量に来て目が配りきれない場合は、二階はある程度制限しないと少し危ない。

二階に大人がいないときは、子どもを二階に上げないでください。

理由の台詞例:大事なものがしまってあるから、なくなったときに(そうでなくても)みんなのせいになったら困る。以前に子どもだけのとき、ハサミを投げて遊んで危ない目にあった友達がいる。

イベント提案について

【森8/26】来場した高校演劇の子が「ダンスやりたい」と市原さんに言うと「F主催でsite-D借りてやろうか」という話が軽く浮上。来場者が「やりたい」といったことに場を提供する流れが自然にふんわり生まれるのは良いなと思う。

お客さんから「ここでイベントしてみたい」など提案があればお知らせください。
また、参加してくれているみんなからの提案も、このスレッドに書き込んでください。

市原 幹也2014/9/16(火) 12:07

カウンターINについて

【横井8/27】Nちゃんがカウンターで私のお昼ご飯を作ってくれる。Nちゃんは料理上手で、菊地さんのトーク時もその場でお菓子をつくって、皆にふるまってくれたりしている。この日の夜ははじめて、HちゃんとRちゃんが野菜炒めを作ってくれた。最初は暴れるだけだった小学生たちも、Fの感じに馴染んできてくれたように思う。Hちゃんの料理は、ちょっと酸っぱかった。

子どもには「カウンターのなかには同時にふたりまでしか入れません。」と伝えてあります。
また、前提として「大人がいないときは、カウンターに入ってはいけません。」とも。
理由:包丁や熱いものを使う場所で、たくさんのひとが作業をするとあぶないから。

カウンター使用・道具について

使い終わったらすぐに片付けることを約束してから、使用させてください。
そばに付いているひとは、目を離さず、特に安全面に留意してください。
理由:ここは、あなた「だけ」の場所ではない。いろんなお客さんが来る場所なので、きれいにしておくべき。

消えもの(消耗品)使用について

Fの共用物は、子どもが消費してもOK。ただし、量を見極めてください。(以前、チューブ練乳を一本丸ごと使い切った。)
台詞例:本当にそんなに必要なの? それはみんなが使うものだよ。

学生について

【横井8/28】学生たちが「はつこひ市場」のために、さんまの試し焼きの上演。通りすがりの子供や、常連の子供たちが混ざって、火起こしに協力してくれた。

二階は、横浜市立大学の鈴木ゼミ生との共有スペースになっています。
週に一回くらいやって来ており、学生が二階を使用する場合は共有Googleカレンダーに明記されます
学生が、ゴミを散乱させたまま帰ったり、生ゴミを放置したりなどがこの日、問題になりました。
学生が使用した日は、二階のチェックを気をつけて、何かあった場合は速やかに報告してください。

市原 幹也2014/9/16(火) 12:13

F会場内黒板

【横井8/29】2階で「ソーシャルストリップ」の稽古。子供たちの対応は、大道寺梨乃さんが状況に応じてしてくれるので、2階を出入り禁止にする必要はなし(お客様もOK)。梨乃さん曰く「あんまり構わないと散っていくってことがわかった」とのこと。イベントの黒板は、英語表記も入れることになりました。みなさまよろしくお願いします。

黒板は毎日更新してください。
イベントがある場合、時間・イベント名・出演者名・余裕あれば内容、の順で表記してください。
これらを英語圏のひとも見てわかるように追加表記してください。
ちなみに黒板下はチョークの粉で汚れがちですので、水拭きしましょう。

子どもの名前

なるべく顔と名前を一致させ、必ず名前(ニックネーム可)で呼び合うようにしてください。
知らない場合は、他の人や本人に聞いて、自分も名乗ってください。
ほかの全員が呼んでいる名前一様に、呼ぶ必要はないです。
Fでだけの名前、あなとの間にしかない名前を、見つけてあげれたらいいですね。

市原 幹也2014/9/16(火) 12:44

情報の共有

【中川8/31】なんばしすたーずとゆかいな仲間たち、横トリサポーターさんと常連の小学生たち(H、N、R、Hの妹Nちゃん)。イベント2つに加えて、雨も降らずバザールの人手も多め。18時過ぎにようやく落ち着き、19時以降はエリマネの方々と談笑。いつも誰かが立ち寄る状態。常に何かが起きているラボのカウンターに一日いると情報量がものすごい。

いつも誰かが立ち寄る状態。常に何かが起きているラボのカウンターに一日いると情報量がものすごい。
ぜひ、みんなに共有したいです。お互いにどんどん発言し合いましょう。

子どもと火

【中川8/31】小学生たちが料理に飽き足らずケーキ用の小さいロウソクで火遊びを始める。

子どもだけでの火の使用は、させないでください。大人がついていると可。

子どもには「イエス、アンド・・・」

【中川8/31】危ないからやめよう、しか言えない状態だとやめずエスカレート。
市原さんより「Yes,andでクリエイションになる」とインストラクションあり、大人一人(中川)+小学生になったタイミングで「and以降」を色々試すうちに彼女たちとの間に徐々に橋がかかる。

「これしていい?」と聞かれますが、なるべく「イエス」で答えてください。ただし、その後に必ず「アンド・・・」と条件をつけてください。その条件次第では、結果的にその場では「ノー」となることがありますが、それで正解。今は「ノー」でも、こうしたら「イエス」可能にできるんだよ、ということをいっしょに考えるチャンスです。
例:子「思いっきり殴ってもいい?」「いいよ。でも必ず殴るひとに『なぐっていい?』を聞いて『いいよ』って言ってもらってからね。」
  子「なぜ?」「それをすると、いやがったり痛がったりするひとがいると思うからだよ。いろんなに聞いてみて。」
こういったことを瞬時に思いついたり行動したりする訓練は、俳優には特に必要ですし、得意なはずです。そして、これらは俳優に限らず、あらゆる大人が子どもと対峙するときに必要な思考のひとつだと、ぼくは考えます。

子ども、約束とルール

【中川8/31】「みんなが(出入り禁止で)これなくなったらさびしいじゃん」がクリーンヒットで、すぱっとやめる。
その後は指切り→約束を守る。

世の中には「みんなのためのルール」がたくさんあり、ひとりひとりが生き辛さを感じる側面もあると思います。
子どもに対しての「Fのルール」というのは、ありません。
また「世の中のみんながそうだから、Fでもそのルールを守りなさい。」は、避けてください。
その場合、あるのは「あなたと子どもひとりひとり」との約束です。
他のFメンバーとの約束とは異なるかもしれませんが「今日は私がFの当番だから、私との約束を守ってね」でOK。
子どもから「F〇〇さんと違う」と指摘があった場合は、確認をしてよりよい約束を開発してください。

カウンター、サムシングエルス

【中川8/31】ふわっと立ち寄った方々に「イベントやってます」というインフォメーション以外のアクションをもっと提供したい。もう一歩演劇に、演技に、アートに踏み込みやすくなるドアの開け方。

なんばしすたーず「おでかけ!おはなし屋さん」を目撃したひとなら、あれがカウンター内でもできるはずです。
特に、2回目「ラーメンちゃん」の南波早さんひとりが披露したパフォーマンスは、とても好感が持てる、ハッピーな上演でした。
自分の好きな絵本の上演、できませんか?
あるいは、あなたがカウンター立つ日だけメニューに登場する「私のおばあちゃんの話」とか「別れた男が残した名台詞」などの演目を追加してみては?

また、飲食店を例にすればメニューに写真があるととても助かりますよね?
あるいは、今はないけどこれまでに出してきたメニューならたくさんの写真があると思います。
ぼくが「8時だF!」で披露したアーカイヴです。
あれを使って、紙芝居的に「演劇センターFってなに?」が上演できたら素敵ですね。

以上、まずはやってみるの精神で。

市原 幹也2014/9/16(火) 12:51

来場者とのおしゃべり

【新田9/3】相手のこちらに対する反応、もしくはこの場所に望んでることが、(休憩や、話を聞いてほしいなど)早めに察知できないと、コミュニケーションをうまくとれないことも。あまり気負わず、接しながらその人と関係をつくればいいのかも、と、改めて感じます。距離感が大事だなあとも。巻き込まれ過ぎず、押し出しすぎず、な距離を、その時々の関係で取れればいいなとおもいます。

相撲と同じで、立ち合いが大事。
例えば、相手の立ち合いをカラダで受けて、その時に力を入れた方がいいのか、抜いた方がいいのかを判断。その後の取り組みは、相手を見ながら慎重に、時に大胆にその場に居るひとたちと混ぜる。
これについては、また。

大人を試す子ども

【新田9/3】子どもたちのテンションの振れ方が激しくて、何をしたいのか、わからなくて、戸惑いました。何となく、大人を試してるのかなあとも思います。

子どもほど、ものや現象を直感的に、かつ丸呑みする人間はいません。
大人のふり=演技しているふりでは、すぐにその嘘がバレます。
本当にその場にあるノンフィクションを全部飲み込んで、体内で一瞬にして消化・摂取し、その場に演技や台詞を吐き出していかないといけません。
以下、立ち上げにあたり。より。

 であい、まざり、めぐることで、
 ひとは体臭をモンモンと醸し、解き放ち、場に充たす。

 ひとは場に漂う演劇を捕まえて食べ、あるいは知らずに吸い込み、生きる栄養にする。
 そして体のなかで発酵させ、匂い立つ新しい演劇を吐き出し続けるはずだ。
 呼吸するようにして。

市原 幹也2014/9/16(火) 12:56

【森9/2】子供たちが外で一輪車で遊ぶのを見守る際、某店長さんとはじめてお話をする。割とそっちの車道まで横断して遊ぶので謝ると、「あの子たち最初うちにいつもいてちょっと大変だったんですよ。でもそのうちそちらに行くようになって、だからうちとしては助かってるんですが…そちらは大変だろうなと…」とお心遣いいただけた。

このFという場を通り過ぎた子どもたちが、再び地域に還る。そのとき、どのようなものを手渡せていればよいのか。を考える。
今、ではなく、その先を考えて、手渡す。と、今ではないいつかのどこかをそれは「めぐる」かもしれない。あなたが手渡したものが。

【森9/2】昼間、ふらりとやってきた大学の研修旅行で黄金町に来た女の子。そのまま夜の地点トークを予約してくれ、改めて夜来て参加し、最後にはトーカーの田嶋さん小森さんに「舞台美術をやりたいのですが…」と質問もしていた。お二人はどうしたらなれるかだけに留まらない美術・建築と演劇の関係の話などもしてくれていた。旅先でたまたま入った店で将来を考える対話を深く経験することになるという現象がまず凄い気がするし、最初入ったときは静かだったのがどんどん「将来」について情報を得ようと積極性をもってゆく「変化」の一連があの場で起きたのは凄いと思う。

ひととの出会いや、コミュニケーションにおける混ざりが、今の連続である将来をつくっている。Fはそのためにも機能したい。

市原 幹也2014/9/16(火) 13:01

持ち込まれた消耗品

【横井9/6】また、料理やかき氷を作ったときや、私物などはその都度片付けをさせるようにすることになりました。

子どもや大人が、料理の材料を持ち込んだ場合は、持ち帰るように言ってください。
相手に置いておきたい重大な理由があって、それをあなたが認めた場合、速やかに報告してください。

片付け

【横井9/6】お皿を洗うのが難しい年齢の子は、流しまで下げるとかゴミを捨てるなど、出来る範囲のお掃除をお願いしてもらえればと思います。

綺麗にしてくれたら、全力で御礼をいいましょう。褒めましょう。

市原 幹也2014/9/16(火) 13:08

俳優、そして演劇の領分

【中川9/7】お客さんからお客さんへお茶をだす(手渡す)アクションがうまれた。

お客さんを混ぜるうちに、こんなフシギなことが起きると思います。
この日は、俳優が多かったこともあり、いろんなことが起こせたみたいですね。
積極的に、チャレンジしてみてください。

【中川9/7】カウンター越しに一対一で話しすぎてしまう。
お客さんに場所、もの、人、状況を具体的に巻き込む。このとき、俳優側が提示するアクションが「紹介する」「案内する」「伝える」だけに寄り過ぎると
、お客さんのリアクションのバリエーションがその方の資質やモードにかなり依拠してしまう。

参考:お客さんとお客さん、つまり他人を混ぜる方法。
まずは『現代口語演劇のために』(平田オリザ)を参照ください。
電車のなかで他人同士が話し始めるワークショップが説明されている頁。
これはカプカプでのトークでも挙りました。
キーワード「環境がひとをしゃべらせる」

【中川9/7】俳優チーム自主稽古します。とりあえず一緒に歩いてみようと思います。

積極的にどうぞお願いします。

ちなみに、LINEのもろもろを整理します。
見える化、効率化を狙っています。
横井から案内があると思うのでよろしくお願いします。

市原 幹也2014/9/16(火) 13:11

かき氷

【横井9/8】夏が終わり、どこのスーパーでもかき氷のシロップが売っていないため、かき氷マシーンは流しの下にしまいました。

その後、暑い日が戻って来たので、活躍しています。
ただし、近場スーパーでのシロップが見当たりません、季節の商品。
見つけたら、教えてください。

子どもによる自治

【横井9/8】子供たちにその場で片付けをお願いするようになってから、やっと少し習慣づいてきたように思う。お茶もお客様に出してくれたり、スタンプの場所を教えてくれたりするように。

いい現象です。
今後、NPOに相談して、子ども達がこの舞台を活用・イベント実施できるようになれば、それもまたひとつのゴールだと思います。

市原 幹也2014/9/22(月) 15:00

質問:なにがあれば?

【森9/12】置きチラシをとりあえずカウンターに置いてみて、折紙の説明もしつつ会話をする、というのを試しにやってみた。何もないよりは会話が楽にはなった。

なかに入ってくれているみなさん、カウンターにどんなものがあれば、お客さん(とあなたとの関係)にとって良い効果を得られると思いますか?
さらには、お客さんとお客さん(他人同士)が話し始めるきっかけなどに。

例)
・小道具=今までのイベントの写真がスライドショーになっているモニターとかiPadとか展示とか
  ・小道具=みんなが選んだ本、藤原「演劇最強論」、本田「朝倉摂 舞台空間の全て」など。
  ・小道具=過去あるいはこれからのイベントに関連のあるアイテム。糸電話とか競馬ブックとか豆屋の豆とか。近所の有名なお菓子とか(販売)

・大道具=カウンター椅子とかブランコとか

・音響=好きな音楽がかけれるシステム

・照明=ミラーボールとか

子どもの日常と変化

【森9/12】日常の鬱屈したものが相当溜まっているから暴言とかにあらわれるんだろうなと改めて感じる。

私たちが彼らの日常にある問題を直接に解決する必要はありませんが、寄り添い、見守ることはできると思います。
子どもの些細な変化、あるいは関係の変化も、気がついたら共有してみてください。
この日誌は現在メンバーでしか閲覧できないので、個人情報につながることも共有しても大丈夫です。
例)〇〇ちゃんのお家にはお父さんがいなく、お母さんは19時に仕事に出かける。

市原 幹也2014/9/22(月) 16:35

子どもとの関係

【森9/13】本人たちは同じことをしていても、受け手側が知っているか知らないかで見える景色は変わる。それは演劇をやっていてよくわかってはいたことだが、今回リアルに日常で感じた。そもそも、こんなに短期間でこんなに相手についての情報量が変わる関係性が普段の生活ではあまりない。

子どもと大人、子どもと子ども。
その関係変化・インパクトはダイレクトに現れます。
そしてインパクトの強弱に応じて、残るエコーの期間が大きく変化するのが特徴です。
たとえば、例えば今日受けたインパクトが、大人になっても残っているかもしれません。
反対に、今日のことを明日には忘れているかもしれません。
それは大人同士でも同じことなんですが、子どもはダイレクト、可視化しやすいのです。
私たちは、どこに向かって子ども(あるいはあらゆる他者)と関係を築けばよいのでしょう。
いっしょに考えたいですね。

市原 幹也2014/9/22(月) 16:59

子どもの創作の支援と開示

【新田9/14】詩人さん?が、Nちゃんの描いたオラフの絵を気に入ったようで、買いたいと提案。Nちゃん本人がいなかったので、中川さんづてに商談が進む。来週の土曜日にその方とNちゃんが約束してFで会うことになりました。

今まで存在しなかったなにかを作るということは、とても尊いことです。
ぜひ、寄り添っていっしょに作ってみてください。
もちろん、劇をつくってもいいです。

地域からの来場者

【新田9/14】近所にお住まいのご婦人が来てくれました。ほかの来場者の方も興味深そうに聞いていて、やはり住んでいる方の話は説得力があります。Fの場所はもともとカフェだったそうで、たまに来ていたんだそうです。

ぜひ、お話を聞いて共有してください。
創作「はつこひ商店会物語」は、こういった積み重ねから生まれています。
ぼくの場合は、調べる>歩く>訊ねる>調べる・・・の繰り返しです。
それは、私<家族<町内<自治区(まち)と、ひとや集団を捉えながら自身のあらゆる創作を活性化させるためのフィールドワークです。

外来者の、まちへの眼差し

【新田9/14】まち自体に興味のある方も多いのだなと感じました。アンケートに答えると交換できる黄金町の本も、好評です。まちのことを知ってまちを歩くと、また違った見え方になる、とおっしゃってました。

演劇センターFに「ひと」がいることで、来場者にこういうモード(チャンネル)を提供できる。強み。

市原 幹也2014/9/22(月) 17:19

子どものケンカ

【中川9/15】H+Nちゃん、N、R、2日連続本気の喧嘩勃発。
現在も、RとNはケンカ中。

小さな心が葛藤・努力していますので、あたたかく見守りましょう。
力になれることがありそうなら、協力してあげてください。

長居するお客さん、そして

【中川9/15】長居するお客さん増加中。連休中は来場者も多く、一人客、複数客、男女問わず立ち寄り長居する人が増えてます。

ただお客さんを長居させていい気分にさせるだけでは、物足りないでしょう。
コミュニケーションの線を太くした後のふるまい。
ひとつは、お客さん同士を混ぜ合わせて、コミュニケーションの線を縦横無尽に走らせるための媒介者となることです。
出会うはずがなかった他者との交わりは、些細ですが、日常という通事を揺るがす共時性の高い事件です。
そこから始まるもうひとつの人生・・・いつもと違う時間と空間を経て、もとの人生に戻っていく。
これは、劇場で演劇作品をみることに匹敵することも起こせる方法だとも考えています。

市原 幹也2014/9/22(月) 17:49

ハロウィンパーティー

【横井9/17】平日ということもあって、のんびりした一日・・・だったはずが、すごく素敵なことが起きた。ちからさんの言葉を借りれば、すごくいいバグが起きた。夕方頃、Nちゃん・Mちゃんたちが遊びにきて、2階でハロウィンパーティーをしたいと言われる。カウンター番が一人だったので、2階にあげるのもなぁと思いながら、カウンターに「2階にいます」と書いて、様子を見守ることにした。すると、文化祭のお化け屋敷みたく、窓に新聞を貼って部屋を暗くしたり、驚かせる仕掛けを作ったりしはじめた。製作途中でお客さんが2階にあがってきたので、中に入ってもらい、仕掛けを体験してもらう。「わぁ〜暗い〜!こわーい」とか楽しんでいるお客さんの様子に味をしめたらしく、
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    今日と明日ならあじわえる!!
    「ちょっと早いハロウィンパーティー」
    おかしももらえるかも?
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という看板を出して、お客さんを積極的に招待することに。ノリノリ。途中からJ&Hも誘導係として参加。お客さんに対して、お茶やお菓子を出す以上のアクションが生まれたことに、ぐぐっときた。

そして、それらを使って、本気のハロウィンパーティーをしようと持ちかけたところ、OKいただきました。
11月1日(土)2(日)あたりで、子どもたちとパーティーを創作しようと思います。これが、パビリオンでの最後の、そしてぼくらが築いて来た関係性の集大成の作品になるかと思います。
現在、Hが仲間あつめをしてくれています。
時々、声をかけてください。
「パーティーするんだって?」
「いつ?どんなのするの?」

市原 幹也2014/9/22(月) 18:50

演出作品

【新田9/20】N画伯とWさんの商談が行われました。Nも緊張しながらもちゃんと話していました。
500円でお買い上げいただきました。Wさん、額縁まで用意してくださってて、Nも嬉しそうでした。Wさんからさらにサプライズが! なんとオラフの人形をNにプレゼントしてくれました。それからWさんの詩集も。Nもとても喜んでいたし、ちゃんと大人とお話もできていたし、きっと素敵な体験になったと思います。
絵本を試しに設置してみました。気になる子もいて、読みきかせたりもしました。知ってるという子も、パラパラ見てみる大人もいました。まだどういう効果があるのかはあまりわかりませんが、とりあえず、明日もおいてみます。

読んでいる姿が印象的でした。
南波さんたちも、おはなし屋さんのときにしてましたね。
個人個人で、絵本の上演を売ってみるのはアリだと思っています。
お金は、全額ポケットに入れていいと思っています。
相談に乗ります。

市原 幹也2014/9/25(木) 18:58

【重要】
◯◯事件が発生しました。現在、対策と解決を進めています。
この場所に子どもが出入り禁止になることは避けたいです。
なにか不穏なやりとりを目撃したら、教えてください。

市原 幹也2014/9/26(金) 17:16

原因

【新田9/20】HとNが、帰り際にFさんの頭を叩きました。ほぼ反省の色なく、Fさんからお叱りを受けていました。ただ子供たちからすると真面目に謝るというのは難しいみたいで、苦戦していました。(最終的にはには謝っていましたが。)子どもにどう接すれば解ってもらえるのか、どんな風に子どもと関係を結んで積み重ねられるかは、大事な課題だと感じました。きっと子どもにとって、だれか信頼できる大人が自分と他の人(もしくは社会)の間にいてくれたら、そちらにも繋がっていきやすくなるのだと思います。(もちろん、子どももひとりの個人なので、ひとくくりにどう接しようとかはしてはいけませんが。)

この日、Nにプレゼントされたオラフのぬいぐるみを、Fさんがいじって遊んでいたそうです。それを「やめて。」と言ってもやめなかったFさんのことが許せなかったようです。その会話と頭を叩いたタイミングはズレていたかもしれません。でも、ちゃんと原因がありました。
そこで「(頭を叩いたことを)謝れ!」と怒鳴っても効果は無いでしょう。

これは、稽古に来ていた大道寺梨乃ちゃんがNに当日のことを丁寧に聞いた結果出てきたものです。

市原 幹也2014/9/26(金) 18:24

名前

【本田9/22】15時くらいから子どもたちがたくさんきて(私は初見の子が幾人も…!)、馴染みの風景とすぐなりました。みんなにはまだ私の名前を伝えられてないのでまずはそこからスタートです。次回、リベンジ!

名前を知らないひとが目の前に現れた時、そのひとたちを「おじさん!」とか「おばさん!」と呼ぶ傾向にあります。
それは、初対面のひととの最初の距離を計る/図るための、子どもたちなりの処世術でしょう。
名前で呼び合うことが、関係のスタートだと考えていますので、そのような場合はスッと名前を名乗りましょう。

本田さんとカウンター

【本田9/22】今回はじめて正式に演劇パビリオンに関わるスタッフとしてカウンターに入って、以前とはまたちょっと違った関係性がこの環境に対してあるように感じています。それをFで今までやってきたこと・おこったことの可視化の際にこちらからのアウトプットのひとつとして出来たらいいなと思っています。

本田さんは、俳優としての参加ではなく運営スタッフとして関わってもらっています。
横井や森さんのような立ち位置で、俳優とはまた違った目線での気づきや変化をもたらしてくれることを期待しています。

市原 幹也2014/9/26(金) 19:27

黄金町バザールのなかでのF

【森9/23】今日は人の出入りがとても多い。家族連れも多く、祝日らしい雰囲気だった。そうして人の流れや会話の動線が入り食ったり活発になると、全体の空気自体がよくなる。今まで私はあまり人がたくさん来る日に担当していなかったので、「単純に人がいるかいないか、空気が流れているかとどまっているか でこんなにもお客様自体の心持ちも変わるのか」と驚く。

特異な建造物や空気が淀みがちな小さなアトリエ(旧違法飲食店)をまわって来た来場者の立場も想像してみると、Fの雰囲気はどうみえるでしょうか。人間が目の前に現れて戸惑っているお客さんも多いですねw

共通の話題を見つける

【森9/23】Fの紹介、演劇の話、バザールの話、をたくさんするのは大事だけれども、そればかりだと「雑談」ではなく「宣伝トーク」になりかねない恐れが自分の中ではあった。けれども「アート」「ヨコトリ」の話ならば、少し距離がある共有の話題なので、雑談として話がはずむ。そこにちょこちょこ、バザールの話→Fの話、演劇の話、とまぜていくと、普通の場の会話だなと。

お話、どうしていいかわからないときの話題。
イメージとしては「広場>建物>個室」という風に、誰でも話せる話題から、その人や自分の専門性・細部へ、という感じ。

大人がつくる子ども像

【森9/23】今朝、ご婦人が、通りすがりぎわにHちゃんを厳しく叱った。ご婦人が帰ったあとにでも、理不尽な抑圧的説教を払拭する言葉をかけてやりたかったが、なんとかければいいかわからなかった。無理にかける必要はない、というのはそれはそうなのだけれども、あの場で積み上げて来たことがたった一人の外部の大人の口調の抑圧で一部駄目になる瞬間をみた気がした。

大人も大人で、自身が持っているルール/イメージで子どもとコミュニケーションします。
なかには、我々が見てもわがままで理不尽な「こどもとは、こうあるべき」を説いていく大人もいます。無理に子どもをフォローしようとせず、その大人についてあなたが思ったことを、同じ目線で伝えられたらいいなと思います。

例:あの人の言ってること、よくわかんなかったね。むかつくよねー!
 :あの人いいこと言っていたね。守ろうね。など

片付けのルール

【森9/23】使ったものは自分で片付ける。このルールは大事なのですが、子供社会でこれをやると必ずでてくるのが「犯人探し」の空気です。特に今日のRちゃんは完全に敏感で、Rちゃんにではなく「使ったものは片付けて」と言っても即座に「R片付けた!」とヒステリックに叫ぶようになってきた。

なぜか「最後に触ったひとが片付ける」というルールにねじ曲げられています。
料理を出したお皿、誰が片付けるのがよいでしょう。作ったひと? 食べたひと?
この場合、作ったひとが料理を出す時に「食べ終わったら片付けてね。」「食べたら、シンクに入れておいてね、あたしが洗うから。」など言えたら。
そのやりとりを、私たちが誘発できたらいいですね。
また、○○ちゃんが作ってくれたんだからあなたが洗ってあげたらいいんじゃない?など。
どうがいいでしょうか??

市原 幹也2014/10/22(水) 23:04

 
【森10/22】そのAさんですが、セクハラが酷いし支配欲が強く、あの場所に対する誤解も著しいです。俳優も適度に強めな反論を入れた方がいいと思います。個人的に性の尊厳も著しく傷つけられ正直いまだに立ち直れず…、乱心のままの日誌になりすみません。

(返信滞っていますが、こちらは緊急にと思ったので、今日のうちにリアクションします)

森さん本人からも報告を受けました。
カウンターに入ることを断ることができますので、ご相談ください。
無理しないで欲しい。

あのカウンター(あるいは舞台)は他者の考えや行動や言葉がダイレクトに侵入してくる、いわば戦場です。
プロセ形式など観客が座っている状態のなかでの舞台俳優の作業と、Fの実践する俳優の作業(つまり舞台上に観客が無自覚にあがってくる状態)は、根本的に俳優の作業は同質ということは可能ですが、実際に起きている現象はもちろん大きく異なります。
カウンターでは、酷な思いをするケース:喜びを得るケース、どちらも種類が多く振り幅は大きいです。
こういった戦場だからこそ、コミュニケーションを自覚的に行ない、環境(空間や時間)と対話できる俳優の強さが試されます。

なので森さん、カウンター当番、無理しないでください。
ぼくに相談、、、しにくかったら、横井でもいいし、ちからくんでもいいので、相談してください。
会期後半に入り、ぼくは森さんからドラマトゥルクとしての働きかけを得る機会が多くなり、別のことで多く助けられています。
適した役割と距離感で、いっしょにいてください。

【お願い】

Aさんと呼ばれるひとの最初のコンタクトは、いつ、誰でしたか?
ほかにコンタクトしたひとはいますか?
ぼくは彼と話したことがないので、パーソナリティも含め、状況が知りたいです。

市原 幹也2014/10/24(金) 17:15

【森10/24】みなさま、ありがとうございます。ただ、冷静になるにつれて、「セクハラ」という表現は不適切かもしれず、無闇に不安にさせてしまったのではと反省しております…。(中略)一昨日はラボも私だけで雨で来場者もおらず、私にとっては逃げ場のない「長時間の一対一」でした。誰か来場者が入るか、彼が出て行くかしないと終わらない状況下で、(中略)太陽政策で追い出す方法はいくらでもあったはずでした。特に一昨日の状況なら、「私はカウンターに入る気はない」勢いで座ったままパソコン仕事をやりつづけることもできたし、一対一なら尚更、居づらい空間をつくりやすかったはずなんですよね。誰もに開かれていなければならない思い込みが強かったかもしれません。

森さん、
その分析お見事ですね。

牧田さんに共有を頼んでいたのですが、まだ時間が得られないようなので、先にぼく目線での報告。
(以下省略)

市原 幹也2014/10/27(月) 0:25

本日警察とコンタクトしました。

彼が来場したら挨拶だけしてすぐに二階にあがり、S山氏に報告「例の人が来ました」と伝える。

S山氏には共有済み。いっしょに一階に降りてください。同時に、パビリオンLINEに報告してください。

S山氏が居なかった場合:
彼に「今から別の場所でミーティングがあるので一旦閉めます」と伝える。
彼を追い出して、施錠。パビリオンLINEに報告。返信や対応が決まるまではFに戻らず、任意の場所で好きなように過ごしていてください。
その際、余裕があれば、バザールスタンプを外に放り出しておいてください。

市原 幹也2014/11/2(日) 18:49

【森9/26】イベント:糸電話プロジェクト「わたしたちになれなかった、わたしへ」。夜中にプロジェクトメンバーの松尾が「創作を試せる場があることがありがたい、演劇センターFに頭が上がらない」「製作側には嬉しいこと満載」とツイッターで言ってくれたことは、「場」の機能の意味で嬉しかったです。試演会をしてフィードバックを得る、それをその先のクリエーションにつなげていく、
れも手渡しの、贈与の循環だなと思いました。

「めぐる」作品たち
コガネックスラボでFのプログラムを立ち上げる時に、演劇公演を実施するスペースがない、ということはネックになっていました。
そこから生まれたのが演劇公演におけるプロセスでの「創作の支援」です。Fを経て作品が外に出て行く「めぐる」システムをイメージしていました。

Fを経るということは、以下のようなアドバンテージがあると思います。

・横浜での公演場所の情報を提供できる
・稽古場を提供できる
・Fの持つ客層(普段演劇を見ない/現代アートを見ている層/子どもなど)を提供できる
・広報/制作を支援できる
・公演後のフィードバックを提供できる(特に劇評家を実装している点)

これら作品が、いつかのどこかのだれかを、いかに「めぐる」かは、本当に楽しみですね。

市原 幹也2014/12/5(金) 15:54

【森9/26】夕方、キッチン上の棚を富永さんが素敵にデザインしてくれました。窓にも写真を置いたり、見た目を開拓しています。それとは関係なく、朝、ベンチが脚二本目が抜け、使用不可能に。(いま掃除用具を出すのが大変かもしれません…)ビジュアル的にも場を開拓していくのに、このピンチを使いたいですね。ベンチは使わないとして、空いた場所をどうするとか、席数が減ったのをどう捉えてどうするとか…場全体をうまく考えて行きたいと思います。

俳優がキッチンに入り観客とコミュニケーションをとることが基本となっていますが、
観客がいないとき/相手となっていないときに周囲の装飾や道具配置に目をやった良い例だと思います。
「これ、こうなったらいいのにな」と、気づいてもすぐに行動できるにはどうしたらよいでしょう?
この日の場合、ぼくが「あそこらへんが気になるんだよねー」と促し、富永さんはじめそこに居た人達からの返答に「じゃあ、やってみようよ」と答えたのが発端だったように思えます。
例えば、外に出している木製の立て看板などは、もっと有効に使えたと思います。
それらに対して気づきや、アイデアの種をみなさんに植え付けるのも演出の仕事なのかもしれないな、と感じています。
ただし、これはその場に道具を作ったり、空間を弄ったりするのが好きな人、例えば舞台で言うところの「舞台美術」「小道具/大道具」にあたる役割の配置(時々来てメンテナンスをする)が必要だったように思います。
後に語られる「いつまでも壊れたままだったベンチ」にしても。

市原 幹也2014/12/5(金) 16:18

【富永9/26】初めて平日に参加して、バザールというよりは黄金町界隈の日常生活を垣間見たような印象の1日でした。特別な日ではなかったけど、いつもの風景とか、あの時間にあの人があそこにいた、みたいなのが意外と大人になっても思い出す子供の頃の風景だなぁ、とふと感じました。

人がいつものようにその場所にあったりなかったりする時、それはシミ(染み/滲み/沁み/浸み/凍み)のような記憶になるのでしょう。
それらは消えますが、残すとしたら例えば写真やビデオ、あるいはこういったテキストを媒体とするでしょう。
しかし、それは俳優の役割のひとつにも挙げることができると思います。
身体を媒体として、いつかのどこかのだれかを自覚的に記憶し、再生し得るということです。
(シェイクスピア戯曲のなかに生きる彼らをだって再生してしまう!)
この場合、身体が覚えている視覚だけでなく、嗅覚・聴覚・触覚・味覚を合わせて、とある「質感」を立体的に再生できるということは、本当に人間の身体にしかできないアクロバティックな再生です。
その再生のために戯曲があるとは言えるのですが、ぼくはこの身体がやる記憶と再生にとても興味があります。
LOGBOOKというプロジェクトはそれに特化しながら、簡易化・大衆化した劇だと思っています。

市原 幹也2014/12/5(金) 18:01

家で作る/Fで作る違い

【新田9/27】NちゃんとRちゃんが「工作する!」といってそばのごみ捨て場から大きな筒を数本、古新聞を2山くらい拾ってきました。ハロウィンに使うようです。Jくん、Hくん、Hくんが、ラボにあるものを使って(割り箸や紙コップ、輪ゴムなど)、工作をしていました。片付けはちゃんとしてくれます。ただ、工作に熱中しちゃうとラボにあるものがみんなのものという感覚が薄れちゃうみたいです。言っても、感覚としては工作熱が止まらないので、納得できない、みたいな。

このぐらいの時期になると、このFという場所は何かを作るための場所なんだということが、感覚でわかって来たのでしょうか。ここにあがっている子ども達は、俳優や演出家たち(外部からのアーティスト含む)と普段からコミュニケーションをとったり、イベントのお手伝いをする子どもです。そして、作ったものをここに置いておけば大事にしてくれる。さらには、それを見て評価してくれるひとたちがたくさん来る場所。お家でも作れるかわいい創作物ですが、Fで作ることが特別な理由はそこにありそうです。

注意する、意識を注ぐということ

【新田9/27】誰とは限らず、子供は集団になったり熱中し出すと、(普段守れている約束でも)気持ちが止まらなくなってしまって自分でもどうしようもなくなってしまうのだなと感じました。収集つかなくなってしまう前に、大人が注意して見ていないとなと改めて思います。あと、とても個人的なことですが、注意していたときに、来場者の方に「こわいですね苦笑」て言われたので、もし抑圧的な(一方的な)物言いになってしまっているのなら、気を付けなくちゃと思いました…。

「注意する」といっても、ひとそれぞれにやり方が違いますね。
ちゅう‐い【注意】
[名](スル)

1 気をつけること。気をくばること。「よく―して観察する」「日々健康に―する」
2 悪いことが起こらないように警戒すること。用心すること。「交通事故に―する」
3 気をつけるように傍らから言うこと。忠告。「過ちを―する」
4 ある一つの対象を選択し、認知・明瞭化しようと意識を集中する心的活動。同時に、その他のものは抑制・排斥される。
(提供元:「デジタル大辞泉」)

やってはいけないこと(危険だったり失礼だったり)をしている子どもたちに、なんと声をかければよいのでしょう。
彼らはそれを知ってやっている場合が多くあります。
それを「やってはいけない」と注意するのは、「そんなの知ってる」で終わります。
これにはきっと理由があると、ぼくは思っています。
彼らは家庭の事情などもあり、普段から大きな声で怒鳴られたりあるいは放置されたりすることに慣れている子どもたちのように思えます。
ここからが大人/自分が考えるターンです。

ぼくの方法を紹介します。
・向き合うタイミング
 :事象があった当日に限らず、後日ふたりで話せるタイミングだと思った時に「あの時さあ、」と。
・向き合う前
 :なにかひとつ他に褒めてあげられることを発言しておくなどすると導入しやすい。
 :ふたりで話せる時間をわざと作る>コンビニ行くけど一緒にいかない? 〇〇運ぶの手伝って、etc。

・やり方を選ぶ
 :その子の周囲に居そうな大人がする、そうじゃない方法でのコミュニケーションを探して行動。
 :例えば、友人の相談にのるように、同じ立場での発言を心がける=自身に似たエピソードや境遇があればそれを。

以上は、学校や保育園での短期的なワークショップを多く経験した身からでた後悔に起因する「継続的な場=コミュニケーション」が成立するFのような場所ならではの向き合い方です。

市原 幹也2014/12/5(金) 18:16

創作支援/実際の公演場所での長期稽古期間

【森9/27】大道寺梨乃さんは20時まで稽古していいか、ときいていらして、私は20時までいても平気だったので、独断でしたが20時まで稽古してもらいました。

公演する実際の場で、長い日数をかけて稽古できることは、作品のクオリティを上げるためにはとても重要なことです。そして時には「ああ、あと一時間、稽古できれば!」ということがあります。そんなときの柔軟な対応は、本当に有意義です。(ただしお互いに無茶はしてはなりません。)森さん、ありがとう!

市原 幹也2014/12/5(金) 18:31

「であう」から「まざる」場の成熟、そして「めぐる」には?

【中川9/28】場所や、関係の熟成を感じます。
8月はほんとにふわふわ、立てられたフラグは見えるけど、自分のこの場所への関わり方や、ここに行き交う人たちとの関係はどれも頼りなく、すぐに消せるような足で線を引いただけの場所のように感じていた8月上旬。

8月のプログラム構成自体が、まさにフラグを立てるだけ立てるといったものでした。
つまり、この場所で出会えるもの全ての「他者」に出会っておくということ=演出家の作業としてはキャスティングを考える。

【中川9/28】から、いまや。週末やたまに夜にラボに通うことは自分の日常に完全に組み込まれてしまって、ラボで過ごす一日は濃く強い。待って、聞いて、見ることができる。過ぎた日、いられない時間を想像する。受け取れるもの、いただいているものが本当にたくさんで、ずっといられないからこそ、いられる時間がとても大切でいとおしい。
滋味深い豊かな時間、なんて贅沢なんだろうと思うんです。

9月は、出たり入ったりするだけの日々から成熟を狙い、内側で「他者」同士が出会りコミュニケーションを始める=混ざるプログラムを意識していました。この場自体の日々の運営(俳優への演出)も。
そのなかで、まさしく最前線に立つカウンター内の俳優の意識にも、以上のような変化が見られ始めた気がします。
俳優が、他者になにかを与えるための演技/身体ではなく、他者から受け止めるためのそれら。
そして他者からいただいたものを咀嚼し栄養にしてから、再び場に吐き出させるあらたな演技/身体。

【中川9/28】これからの1か月と少しで、私はこの場所に、この人たちに、何を返せるのだろう?
 直接のお返しとともに、もう少し、もうちょっと外へ、届けられますように。と考えます。丁寧に、着実に、準備をしていきたいと思います。

さて、最初から公募参加している中川さんのなかでは「めぐる」ターンに入っていっているのでしょうか。
どうすれば、これらをもっと遠くへのいつかのどこかのだれかへ運ぶことができるのでしょう。
演劇作品としてパッケージとして受け取れる作品をつくり可視化・立体化させる方法があることはもちろん知っています。
他にも、たとえば日々、この場で、俳優個人で、あるいは人として、なにがどこまでできるのでしょうか、その身体を使って。
きっとそんなことを考える期間なのではないでしょうか。

市原 幹也2014/12/5(金) 19:10

なにもないけど再来場したくなる場所になる

【新田9/28】リピーターのお客さん、何人も来てくださいました。家族連れのリピーターのお客さんが、今回はお兄ちゃんも一緒に連れてきてくれて、嬉しかったです。

2ヶ月も経つと、大人のリピーターが増えてきますね。
イベントが無い日でも、カウンターの俳優としゃべっていたり、子どもたちを見守ってくれていたりしています。
さて、イベントに参加するわけではなく、なぜ、ここに通うようになるのでしょう。
ここにしかないものがあるのです。
それは、ここにしか居ないひと、つまりあなたがいるからということには違いないのですが、もう少し秘密がありそうですね。

ぼくはかつて、北九州でそういった場所を4年間運営していました。
そこを出た2013年には、1ヶ月限定で「場を上演する」ということをしました。

Facebook:https://www.facebook.com/edafes2013/timeline

ちからくんの記事:http://bricolaq.hatenablog.com/entry/2013/11/01/205716

こういった「だれが来てもいい、いつ来てもいい、なにをしていてもいい」という空間や時間は、まちなかの公園のように放っておいても幸せな成立はしませんし、成立したとしてもそれはとても脆いものです。
近年、拠点形成やアートでまちづくりを押し進めるNPOや、暮らしのなかに「第三の場所」を作ろうとする動きが活発になっています。
そのための知恵を、いいえ、人間が豊かに生きる知恵を、演劇は蓄え持っています。
それを示す実例やロジックを作ろうというのが、Fのミッションに大きく含まれています。
このプロジェクトが終わったあとに、このことをみんなで話せる機会を作れたらうれしいです。

チャンネルがかわる場所

【新田9/28】チャンネルのはなし。横浜トリエンナーレからの来場者は、バスで黄金町バザールに来る場合、バザールを見るチャンネルに切り替えるのが難しい、という話を市原さんがおっしゃっていました。美術館から歩いてバザールまで来ると、まちのグラデーションを挟むので、バザールも楽しみやすくなるそうです。ヨコトリはガイドのある美術館、バザールは道順も見る場所も来場者自身で自由に回ることができる所。このギャップに戸惑うというか、ヨコトリを見ていたモードのままバザールをまわると、なにがなんだかよくわからない、ということになるみたいです。なにか、Fでそのチャンネルを変える手がかりというか、そういうことにも機能できたら素敵かな、と思います。機能というか、意識的に取り組めたら。

トリエンナーレから黄金町へのチャンネルももちろん、上記したリピーターは、自身で日常からFへのチャンネルを変えることを知ったひとたちなのでしょう。
場所によって、自分の役割が違うのは当然のことでしょう。
学校での自分、家族のなかでの自分、恋人といる自分・・・。
こういった演じ分けができる場所、あるいは普段とは異なる演じ方を促すひとが居る場所は、私たちの生活のなかに必要です。

例えば、いじめなどで学校でなにもかもうまくいかなくなった、そして家に帰っても誰もいない、ネットのなかでも阻害されている、これではもう人生のオシマイだと感じてしまうひとがあるかもしれません。
そういった場合、自殺してしまうか、うまくいかない要因になっているひとを殺すか、あるいは誰でもいいからめちゃくちゃにしてしまうか、という選択肢を得るひとたちが起こす悲しいニュースが時々耳に入ってきます。
そんなときにこそ、別の舞台(集団・場所)や、そこでの演じ方が必要だと思うのです。
Fでは、その居場所づくりも一時的にするかもしれませんが、重要なのは、いつかここじゃないどこかで誰かとするための新しい演じ方を得るということなのです。
居心地がいいだけの場所ではそれを得ることができません。
違和感や少なからずの拒絶(による価値観の揺らぎ)を共有することで、これは演劇による場であるということが可能になってくるのかもしれません。
そのために、多くのイベントやプログラムを仕掛けてあるわけです。

多くのチャンネル(舞台)を得て、その変え方(演じ分け)を得るということは、閉塞感が強くなる私たちのこれからに必要な「生きる力」を養うことだと思います。

いつもの居心地のよい居場所を作りながらも、演劇を通じて居心地の悪さも同時に共有しながら、新たな価値観(あるいは別の日常での演じ方)を見いだしていく場所。
ぼくはそんな場所が、小さな村々にひとつずつでもあればいいなと、ずっと創作を続けているのです。

市原 幹也2014/12/5(金) 19:45

この場所はなにをする場所?

【本田9/29】ラボの縁側で中をのぞいてみたり、ちょっと後ろへ下がって建物全体をみていたおばさま。どうやらこのコガネックスラボの建物が作品と解釈していたみたいです。私ははじめて建物を作品と解釈したお客さんに会い、今までは建物内に展示品をもとめている人がほとんどだったので、そういう捉え方もあるのかと普通に(美大生として(?))ふむふむとなりました。やはり、人がいるというのは強いんだなと改めて思います。

入ってくるなりこうおっしゃるバザール来場者が多いですね「作品はどこですか?」「どこを見たらいいんですか?」
そうじゃなく通りすがりや地域のひとたちが恐る恐る入ってくるときは、まず挨拶をしてくれます「こんにちはー」と続けて「ここ、こんな風になった(変わった)んですねー」。
このふたつの例だけでも、この場所の見え方はずいぶん違いますね。
そして、両者が合流するのは「ここはなにをする場所ですか?」という質問です。
ぼくは、相手の様子やコンテクストを見て、相手が欲しがっている答えを探して答えてやろうとすることが多いです。
その人が思うような場所になる可能性が大きい場所、それは間違いではないですから。

この答え方が、俳優ごとに違うのは、ぼく自身見ていてとてもおもしろいです。
そして、それぞれがその答えに葛藤している様子も見られます。
さて、この場所はなにをする場所でしょう、だったんでしょう。
答え合わせは決して楽しくないですが、みんなで持ち寄ってみるのは楽しいでしょう。
それぞれの来場者にとって、あなたにとって、どんな場所だったのかが、多く挙げられる場所ほど良い場所だったとも言えます、ぼくにとっては。

連続する上演

【本田9/29】上演の痕跡。昨日の「競馬しぐさ」で使っていた競馬関係の雑誌や馬券がカウンターにおいてあって、上演の痕跡が物体としてあるのはいいなと思いました。(物体で残せるものがある上演は限られるかもしれませんが)

そうですね、昨日千秋楽だった上演の痕跡を見に劇場に出かける、なんてことは普段はできませんね。
連続する日々(稽古や上演やその後)を見ることができるという利点。
ただし、これらの見せ方においては、演劇人(もちろんぼくも)はまだまだ下手だと思っています。
こういった連続する上演を価値として可視化する方法は、もっと考えなければなりません。
(その点では、象の鼻テラスで柴幸男くんがやっている創作には、とても共感をもって眺めています。)

終わりを感じる

【本田9/29】もうすぐ10月で、バザールも残り1ヶ月。横井さんとJ&Hがバザール後について話してるのを聞いて、ここ、なくなるんだよねってわかってるけど、心が、ほろにがい。

こういった期間限定で地域に入っていくときに、特に演劇のようにリレーショナルな表現・方法をする場合、気をつけなければならないことのひとつに「いかに終わるか」ということがあります。
あっという間に現れて、あっという間に消える鮮やかなインパクトやそのエコーに関しては、劇場に作品を期間限定で立ち上げる際に考えることです。
反対に、クリエーションカンパニー以外の他者を巻き込みながらゆっくりと立ち上げ、彼らとともにゆっくりと終えるということは、実は多くの演劇人にとっては苦手なことでしょう。
ぼく自身も、北九州の多くの他者を巻き込む期間限定の創作(市民劇や長期ワークショップ、拠点運営)で経験させてもらいましたが、まだまだです。

この場で、横井がやっているのは「いついつ終わるんだよ」と、ひとからひとへ直接になじませていくということですね。
「クロージングパーティー!いえーい!おわり!!」というぶった切りではなく。
実際に子どもたちが自分たちだけで、この場所からイグジットしていく準備を始める姿も印象に残っています。
例えば、(カタチの有無問わず)メッセージを残すとか、ここにあまり来なくなるとか。

居なくなることやなくなることは、創作に限らず、ほろ苦く悲しいけれど、そうやって早くから伝えなければ(うけとらなければ)ならないことなのです。

市原 幹也2014/12/5(金) 19:59

インパクトのなかでわかること

【横井9/30】先日の突発的イベント、こどもハロウィンパーティーの際にパフォーマンスを体験したおじさまがまた遊びにきてくださいました。カウンターでおしゃべりしていたら、他の来場者にスタンプの場所をご案内してくれたり、ふるまいを発揮してくれた。人から人へ、いい循環が起きています。

ここがなにをする場所か説明することの解について先述しましたが、ここで行なわれていることをぎゅぎゅっとパッケージしてある作品/時間を体験することは、どんな言葉にも代え難いインパクトを与えるでしょう。
それは、ここで上演される演劇作品の役割のひとつでもありますね。
ということで、このおじさまは偶然ですが、それを受けてしまったひとなのでしょう。
こちらが説明しなくとも、ここでの振る舞い(演じ方)を得ている。
それをまた別のひとが見たり、受け取ったりしていくという巡り方に気づくことができれば、幸せですね。

わたしと、わたしじゃないひとが出会うために必要なこと

【横井9/30】3時半頃、NとR、Hちゃんが学校帰りに遊びにくる。Nに、ハロウィンパーティーやろうねと念押ししたら、招待状を作って配りたいと言っていました。どんなのがいい?と聞くと、その場で文面を考えてくれた。自分たちだけで楽しむことから、周りの人も楽しませるということを意識するようになっていて、とってもいいなと思った。

ハロウィンパーティーを開いて、お客さんを呼ぼう。
それは、8月に初めて出会った彼女たちからは想像もできない、この場所の使い方です。
わたしたちだけのFのように振る舞っていた彼女たちに、わたしじゃないひとのことも考えてみようと促すことは、みなさんも苦労したと思います。

彼女たちが、もてなす側にまわる例はたくさんありました。
特に、イベント来場者の人数を訊ね、把握した後に人数分のホットケーキを焼いたり、かき氷を振る舞い出したり。
誰がやれとも言っていないこれらのことは、その行為が何に繋がるのかを想像できないと行動できないことです。
この場所にいるからこそ見つけた彼女たちの新しい遊び方(演じ方)だったのだと思います。

市原 幹也2014/12/5(金) 20:09

横浜、創造界隈のなかでの立ち位置

【富永10/1】LINEにもちからさんよりお知らせがあったYさん御一行は、Yさんはお一人で先に帰られましたが、他のお三方はビールを買って頂いて横井さんと楽しくお話されていました。

近くで演劇作品を創作している一行が、その稽古の後にFにやってきたのだと把握しています。
横浜には多くの創造拠点がありますが、Fはそのどこにもない性質を持っていました。
あるいは、あるべきものがなかったとも言えると思います、エアーポケットのように。
そこを宿り木として利用できると認知してもらえた例だと思います。
しかし、こういったFの「場」としての特異性をそとに周知させるための打ち出しが足りなかったようにも思えます。
創造拠点が多くある/東京ではない横浜、そして黄金町という場所ならではの打ち出し方もあったような気がしています。

市原 幹也2014/12/5(金) 20:24

この場所はなにをする場所?インパクトのなかでわかること

【森10/4】H&Jが、買ってきた百物語?の怖い話を読んでくれと朝から横井さんに頼みだした。横井さんが読んであげて、H&Jが聞いている(途中から聞いているのか怪しかったけれど…)のがなんだか微笑ましいなあ(聞いているのか怪しいのも含め)と思っていたら、夕方、Kたちのグループが合流してから、カウンターの中にいる牧田さんが今度はその怖い話を読み聞かせしてあげる流れに。カウンターでのパフォーマンスの試演、のようなことが起きていた。しかもちょうど始まったばかり位の時に親子連れがきたので、「聞いていく?」と子供に聞くと、残って聞くことを選んだので
、いい感じで試演ができたと思って観察していた。結局最後までその家族にはあの場所がなんであるかは説明しなかったけれどそんなことは一切必要なかったと思った。演劇センターF、というあの場所の名前と、カウンターの中の人が子供たちにお話をしているその環境。それがそこにあるだけで充分の説得力があった。

先述した「この場所はなにをする場所?」「インパクトのなかでわかること」で言及した実例がまさに起きていたことを聞いてうれしく思います。

【森10/4】その時の状況で「ここで起きていることが演劇」の説得力の強度が変わるのは当たり前なのだけれど、「どう使うか」とか「どう伝えるか」「どう巻き込むか」、これからアクション自体は俳優さんに委ねていきつつカウンター内部から少しずつ離れていく身として、自分はそっちの工夫を努めたいと思った。

この頃は俳優も増え、最初からドラマトゥルクとして参加希望していた森さんが最前線であるカウンターから離れることができ、彼女は俳優との関係のなかでこれと言い難いポジションに移行していきました。
時にはぼくの発言を別のコンテキストに翻訳してくれたり、俳優たちがそんな森さんを頼りだしたり、それはドラマトゥルクとしての仕事であったように思います。
作品や場を作るときにどんなひとが必要かは、こういうひとが居たらうまくいくということが先ではなく、そこに集まるひとたちの個性がその多くを決定するのだということも見せつけてくれる事象でした。

市原 幹也2014/12/5(金) 21:24

 

よくわからないものを、いっしょによくわからないねーと言う/考える

【牧田10/4】夕方、制作途中の【F】のマーク(?)をカウンターにおいていたら、ラボを訪れた親子づれに「これは何ですか?」と訊ねられ、森さんと「これはなんでしょうか!」ミニクイズを出すみたいな流れに。(中略)ミニクイズをとおして、【F】のマークがいろんな風に見える、捉えることができる、んだなあということを感じた。それは、場所そのものも、きっと、そう。ある人は「ここは劇場です」と言う。別な人は「ここはロビーです」と言う。また別なある人は、きっと、もっと別な何かですと言うのだろう。

ぼくは日々、いろんな価値観で考えないとわからない/見えてこないものが、周囲から排除されていく閉塞感を感じます。
特に、北九州の小さなまちで(よくわからない)現代演劇を当たり前のように普及させていった動機は、まさにそこにあります。
「F」の文字は本当にFでしょうか。

いつも見ているものを疑うことで、生まれる新鮮さについて。
例えば枝光というまちでは(あるいは地方で孤立化する多くのまちでは)たんに見慣れないものは、ひとの関心をすり抜けるばかりだし、見慣れたものはそれだけでは何も新しい状況を引き起こしません。
むしろ、見慣れたものが見慣れないものになることによって、あるいは見慣れないはずのもののなかから慣れ親しんだ何かが生じることによって、ひとはどうしても対象から目が離せなくなってしまいます。
こういった「不気味さ」=(のむさん曰く)「新鮮さ」というものを誘発することが演劇(あるいは芸術)には可能だと信じています。
そういったメディアになる得る、一見よくわかんないもの、でも多くのひとと共振できる可能性=強さのある作品や、たとえ弱くてもそれが継続して起きる場所を、新しい広場だと考えることはできないでしょうか。

日誌で報告してもらったなかには、先述しているあらゆることを考えさせられることが多くありますね
この場所がどんな場所であるか/ここで大切にされていることなどの情報を、目の前の人間同士の関係性からわかるといったこと。
これは小さな劇ではないでしょうか。

演じ手/観客が誰かわからなくなる。その事象がさらに外部に漏れて、層が生まれる。
また、その結果(植物の成長)を、いつかのだれかは見ることができる。

【牧田10/4】飄々とゆったりとした不思議な雰囲気の方だった。「お仕事は何をされているんですか?」など訊かなかったのだけど、

この場所では、まず自身のわかりやすい肩書きを剥がし、わたしとあなたという小さな関係から始めながら、そこから自分の居方(演じ方)を見つけ過ごすのが一番楽なように思います。
自分はこういう肩書きであるから、そう見て欲しい/扱って欲しいと宣言すれば居辛くなる。
「ぼくはこどもだから、あらゆるこどもと等しく扱って欲しい」なんてナンセンスですもんね。
そんな事象を多く見てきた気がします。

わたしが開いている/閉じている

【牧田10/4】「なんか演劇やってよ!」と言われて、とっさに何も出てこず、「え~どうしよう、どんなのがいいの?」とか言って慌てたのがとても恥ずかしい、不甲斐なかった。(中略)「なんか演劇やってよ!」と言われたら、「よっしゃー、まかせとけぃ!」と言いたい。

この場所(あるいはその他流動性が高く複雑な人間関係のなか)にいるとき、感覚が開いていれば楽かと言えばそうでもないし、反対に閉じていても。
ただ、これには言葉の文と言うか、まやかしがあって。

牧田さんは、このふたつの切り替えをうまくできないことを仕切りに気にしていました。
しかし、それは自分ひとりでは、できません。
ひとりで勝手に開いたり閉じたりしている状態というのは、どっちにしろ危険だと思っています。

ぼくの場合、ですが。
向き合う他者から、そのひとの時間や思いやり、大げさに言えば尊厳の一部を分けていただかなければ、コミュニケーションは成立しにくくなります。
それを分けていただくために、そこに触れるために、自分がどうしなければならないかを考えます。
他者とのコミュニケーションにある状態/質感は、自分だけでは作れません。
北九州での演劇作品「枝光本町商店街」や、こちらでその再演を目指した「はつこひ商店会物語」では、主に案内人とまちにある他者との間にある関係性の状態/質感を保ち、それを第三者に手渡すことを心がけました。

具体的にこれをしたらいいよ、という答えは自分でみつけるしかないのだと思いますが、他者(目の前の相手)をどこにもない固有の存在だと敬うことで、もしかしたら目や耳を、あらゆる感覚を「開く」きっかけになるのかもしれませんね。

市原 幹也2014/12/5(金) 21:39

 

在った方/無かった方がいい

【新田10/5】あと、ドアを開ける、傘を閉じる、など、入場することに手続き(アクション)がふえることで、出入りの気軽さを損なうなとも。出入り口を開放しておくとか、こちらから声をかける(アクセスしやすくする)ことは思っていた以上に大事だと実感です…!

他にどんなことやものが、在った方/無かった方がいいと考えるかで、その場所自体が大きく変わってきますね。
例えば、Fの入口の段差を解消する木製のステップは無い方がいいという指導が行政からありました。
それは、その道路を通行するひとの妨げになるかもしれないからという理由です。
しかし、それがなければ足の不自由な高齢者や、小さなこどもたちはFに入り辛くなってしまいます。
昨今、あらゆる場所で自分にとって不要/不快であればそれを訴えると無くすことができる事例が多く見られます。
美術館の展示作品でさえも、ジャポニカ学習帳の虫の写真さえも。

さあ、そのステップは、在った方/無かった方がいい、どちらでしょう。
そして、その二極化から脱出できる方法の発見というのは、ぼくたちアーティストが世の中で唯一役に立てる活躍の場、正念場かもしれませんね。というのは自虐的でしょうか。

自分の演じ方が増える

【新田10/5】Nちゃんがハロウィンのポスターをかきました、トイレ入り口の横の壁に張ってあります。Nちゃんは絵の商談があって以来、そういうことに積極的な気がします。あと、きょう俳句(?)も作ってました。Wさん(商談相手の歌人さん)からもらった歌集を読んでるのかなあと思って嬉しくなります。商談はNちゃんにとって大きな体験となって影響してるのだなあと感じます。

本当にうれしいことですね。
それがぼくたち内部の人間からの影響ではなく、外部(来場者)からの影響というのも特筆すべき喜びです。

市原 幹也2014/12/5(金) 21:46

普段のこどもたち

【富永10/10】KやHからの伝言で、18日に運動会があるそうで、できたらみんなに来て欲しいそうです。朝8時過ぎ位~15時頃まで。私は行けないと言ったらみんなに伝えて欲しいとのことでした。お時間ある方は是非。ソーラン節や騎馬戦などやるそうです。

こちらもイベントしていたため、結局運動会には行けなかったです。
振り返れば、この時に彼らの普段の姿を見ておけばよかったと思います。
彼らが、自分たちのがんばった姿を見て欲しいというメッセージを送って来たのだから。
あるいは、家庭の事情が複雑なこどもも多いので、もしかしたら親しい大人の誰にも見てもらえないという現実があったなら。
などと考えると、運動会での彼らの奮闘(その語の対話)は、こうやってぼくたちと彼らの日常が交差した結果に見ることができた、ひとつのゴールだったのかなと。

市原 幹也2014/12/5(金) 22:01 

【新田10/12】きょうははじめての「日常の上演」でした。(中略)上演の担当俳優がいることで、その人が「なんとかしなきゃ」という責任感が潜在的にあるかもとのこと。その場を把握しておきたいみたいな?
 放置すること(その場の空気に任せること)や、何かが起きるのを待つことよりも、俳優自ら発信していくことに重きがおかれていた感じでした。

日常を上演するという、虚構と言おうか不可能性と言おうか、そんなふうにクルクルと反転し続ける理想を掲げた上演を試みることは、当初から狙っていたことでした。
終演後に、その場に居たメンバーと行なったフィードバックがとてもおもしろかったです。

・やろうとするとやれなくなる
・居ようとすると居られなくなる
・やめようとしてもやめれない

本当にメビウスの輪のなかに居るというか、自分が輪になるというか。
これを、俳優が普段している舞台上の作業と何が違うのか、という議論になったときにおもしろくなりました。
俳優は舞台上でなにをしているのか、と跳ね返ってきます。

振り返ると、こういった経験をした俳優同士でするフィードバックの機会をつくってあげられずに終わったのは、とてももったいないことです。
俳優同士で経験したことを開示/共有し議論し考える土台としては、他に例が少ないものだと思います。
ぜひ、ぼくも聞いてみたいです。

市原 幹也2014/12/5(金) 22:40

日常は演じられるのか

【中川10/13】結果、今までになく外交的な立ち方でカウンターにいました。
外交的なふるまい→視野狭窄に陥っていたので、

本当に不思議です。
牧田さんが良い状態を言う「開いた状態」と、中川さんが不本意だという「外交的なふるまい」。
この言葉や質感のすり合わせをするだけでもかなりのフィードバックがお互いにあると思います。

【中川10/13】8月から重ねてきた時間で私が選んだ身の置き方は、受け身でいること、油断することです。誰かがやってきてくれて、その人のいいようにわたしを使えばいい。どのように置けば、あるいは、置かれれば、そのような時間が訪れるのか?
 私にとって一番大事なこと、すべての始まりは、待つことです。

中川さんがするベーシックな立ち方、振る舞い方としてのそれは稽古中に垣間見ることができました。
そして、次第にそれを自覚的にコントロールしたり、客観視したりできるようになっていく姿が見え始めていました。
それは、同じインストラクション、似たディレクションが共有されている他の俳優たちがする選択とはやはり違う、中川さんならではの演じ方でした。

【中川10/13】それがこれまでと異なる「自己主張」として色濃く反映された時間/上演になった、なってしまいました。

結果、いい上演/わるい上演というのは、この時点で判断は難しいと思いました。
ただ、中川さんがとても不本意そうだったので、これはなんだろうとぼくも考えました。

いよいよ上演ということで、なにかしなければ、と思ったかどうかはわかりません。
ただ、中川さんは前述した「ただ在る状態」=「他者にとって居心地のよい空間づくり」の次にある、これが演劇作品である必要/十分条件を彷徨ったのかな、と思います。
 

・Fで「日常」を上演することは演劇作品かもしれないけど、それだけではない
 
・Fで「日常」を上演することは演劇作品だと言うのに十分である
(数学的思考が苦手なので、うまく説明できてないかも・・・)

ここでの芸術信者とまで自称した中川さんのなかには、ある物足りなさがつきまとっていたのかもしれません。
かつての日誌でこう書いています。

「ただわたし、キレイごと多めの調合で話して、いますから、そんなに信用して気持ちよく楽しんじゃってみなさん大丈夫? ちょっと、もっとよく見て、とかも思い始めてます。悪意や敵意ではもちろんなく、ひっかかりを残すようなことをちょっとずつ織り込みたくなっている。」

この反転の繰り返しを自覚してしまい、無意識にこれらの思いが発動したのかなという予想。
この時点で、Fやパビリオン、そして「日常の上演」の先にある風景を提示して、共有のイメージを立ちあげられていなかった演出家としての仕事不足でもあるように反省します。

市原 幹也2014/12/5(金) 23:15

 

他者との距離感、富永さんの場合

【富永10/15】まず、私は俳優であると同時に観客にもなりたい、と思ったので、ほぼカウンター内にいないでうろちょろしたりしながらで、舞台を広く使ってみました。それと、お客様が来たらすぐにお茶を用意し、カウンターではなくテーブルに促してみました。そうすることで演劇とは関係のない話をしていても、自然とお客様が壁の黒板の『日常の上演』を見つけ、『これってー?!』みたいな感じになりました。皆さん笑ってました。(?!)

この方法での上演を見たのですが、来場者と富永さんとの間には、本当にいろんな事象が起き続けます。
最初の選択肢だけ富永さんが操作していて、あとは思いっきり委ねるからでしょうか。
首輪とリードだけは確実に着用させておいて、その後にリードをめちゃめちゃ緩めるというか。
来場者も、あとで黒板を見て、それに気づき「!?笑」となるのでしょう。

【富永10/15】それと、会話や演劇と全く関係のない企みを入れてみては?と市原さんに言われたので、来た人になるべく何か買ってもらう、という企みにしました。結果というよりは、話すことだけに集中したりせず、視野が広くなった感じで良かったです。

富永さんは、自分の思う方向に話を運ぶうまさがあるので、それを危惧していました。
それに対して、ぼくから負荷をかけたつもりです。
でも、その負荷自体もあっさりと越えてしまったようですね、その効果は見られたようですが。

【富永10/15】あとは、14日にキャバ嬢みたい(笑)というフィードバックがあったので、なるべく声を小さく、ゆっくりしたテンポで話すことを心がけました。あとはあまりコミュニケーションに積極的出ない方には正面ではなく横に座ってみました。

もう少しキャバ嬢トークについて言及します。
彼女たちの多くは、相手のしゃべりたいことをしゃべらせます。
うまいひとはまるで合気道のように自分のパワーを最小限にして。
そして次々に(お酒ではなく自尊心という点において)相手を酔わすための相づちや返答をして、相手の言葉を吐き出させます。
相手のすることへの全面的な肯定(と思わせる言葉)と、過分な褒め言葉によって。
結果、しゃべっている方は「ぼくはおもしろい! そしてここに居ていいんだ!」みたいな酔い方をします。
(余談ですが、ぼくが自分自身を見失っていた時期に、彼女らのもとに繁く足を運んでいたのはそのおかげでしょう!笑)
こどもとの創作に慣れていない指導者/ファシリテーターは、ワークショップ等でこの「肯定」をやってしまいがちです。
彼女たちが提供するサービスと、Fで心がけるべきコミュニケーションとではなにが違うのでしょうか。

他者の肯定というものにもしも答えがあるならば、ぼくにとっては、相手の存在を敬いながらその価値観を見つめるということ。
そして、それに感応しながらリアクションし、相手と自分の関係性を掘り下げたり広げたりするということ。

はい、あのような享楽的な場で、そんなことやってたらそれこそ仕事になりませんね。
ということで、Fに通う男性来場者が増えて来ている時期、相手を酔わすのは違うぞという真面目な話でした。

市原 幹也2014/12/5(金) 23:29

新田さんとこどもたち

【新田10/19】きょうは一日中こどもたちでにぎわっていて、というか炎上してしまいました…
こどもの炎上の原因は、わたしがまだ子どもたちとコミュニケーションがうまくとれていないことと、それのせいでまたムキになってというか、コミュニケーションとろうとしすぎて注意するのが厳しくなってしまったこと、それでまた聞いてくれない、みたいな悪循環があったのかしらと。終わってから思うと…。

新田さんがこどもにする声のかけ方(とくに注意する時)には特徴があります。
それは、こどもたちよりも自分の方が目上だという(今更言わなくてもいい)情報が、音のなかに含まれています。
時折、学校の指導者が、大勢のこども全体に向かってやるそれに似ています。
こればっかりは、音階や声の圧力(息の使い方)から読み取れるもので、なんとも説明し難いのですが・・・。

例えば、大人が赤ちゃんに話しかけるときに、独特の甘い発声(音階)を使用していることがあります。
大げさに言えば「あらー、○○ちゃんは1才になったのでちゅかー?」みたいな、犬に使うひともいますね。
その反対の音を使用しているというとなんとなく言わんとしていることが伝わるでしょうか。
意識的にこどもたちに毅然とした態度をとろうとすることで選択されてしまっているように思えます。

例えば新田さんが年上のひとに「それはやってはいけないのでは?」と注意するときには、どんな音が鳴っているでしょうか。
それと今の発声の間に、いくつかの中庸や方法があるのではないでしょうか。

市原 幹也2014/12/5(金) 23:45

森さん(公募による参加者)が考案し実践したワークショッププログラム 「桜木氷取祭礼」発刊記念イベント

森さんが考案したワークショッププログラムを実践した機会になりましたね。
とても苦しんでいたようですが、それをやり遂げた姿を見て、ぼくは本当にうれしかったです。
人前で自分を主張することに苦手さを感じている森さんが、参加者の主張を促し、丁寧に拾い上げ、それを用意した資料や解釈で拡張していく作業を見ました。
時によっては、強い主張が他者を導くのではないです。
辛抱強く、弱い主張に耳を傾ける姿勢こそが強さなのかもしれないな、と改めて自身を省みることもできました。

【森10/18】この日に市原さんからフィードバックしてもらい19日にちからさんにフィードバックしてもらいましたが
、「演出家のフィードバック」と「劇評家のフィードバック」らしい逆のコメントをもらったので、
見事に表面と裏面両方からの指摘・アドバイスをいただいてありがたく思いました。 と同時に、「ああこれが、糸電話組が言ってた『貴重な機会』なのだなあ」と骨身にしみました。

ぼくとちからくんとの役割もそうだけど、この場に参加してくれたひとからのリアクションもそうですね。
お互いに普段から言葉や行動にすることがないものを、戯曲や芸術を通じて発露しながら感応し合うということ。
それを促し拡張するために、森さんのプログラムが働いたこと。
この演劇パビリオンというプロジェクト自体にも、とても有意義だったように思います。

演出家:市原ではない、もうひとつの目

【森10/18】この日の新田さんは結構、落ち込む→すべてネガティブにとらえてしまう→状況を「好転」させようと躍起→うまくいかなかったと解釈→落ち込む
 の連鎖にはまっていたようにみえて…。ループにはまったら、相手の行動を裏返して考え直してみたらどうでしょう。本当に「中に入りたくない」のかもしれないけれど(笑)、「この人は外にいたいんだ」と思うことでもう少し気が軽くなったり、ほかの工夫が思いつけたりしたかもしれない。

森さんがこういったアドバイスを定期的に俳優に与えていることは、本当に助かります。
ぼくは、どうも自身のイメージを達成したがるあまり、ドラスティックにものを言ったり選択したりします。
それに比べて森さんのそれは、全く違うアプローチですが、ぼくのイメージを言い得ています。
このプロジェクトに初期から参加してもらっていた経験が、次の層に対して浸透/作用し始めたのを実感しました。

市原 幹也2014/12/5(金) 23:56

これから起こること

【横井10/21】写真をやっていらっしゃるというお兄さんが、あれから毎日&1日に何度もいらっしゃっています。
子供たちともうまくやっていて、今のところは問題はありません。

少し時間が経ってこのテキストを書いているのですが、この日の日記には、のちに重大なことを呼び起こす「火種」が眠っていますね。
毎日、そして一日何度も、というのはもっと不思議に思って警戒してもよかったのでしょう。
しかし、後日牧田さんに自分の好意を受け入れてもらえなかった時に、こどもたちとうまくやっていること自体を「盾」として利用してきたというのも、この時点ではまだ気づくことはできないでしょう。

いつも上裸で鳩にエサをあげているおじさんが、「病人がいるから、あんまり大きな声を出さないでね。病人が寝てるからね」と、諭していました。子供たちは、これまで何度も家の前でわざと大声で歌ったり、出てこい~!などとからかって挑発をしています。今日は怒っていませんでしたが、いつどうなるかは分かりません。

実際にこれを発端に、後日、帰り道のこどもたちがその家に石を投げてしまいました。
警察と学校とご家族とに連絡が行き、なかにはそれ以降Fに来辛くなったこどももいました。

実際に危険なことや周囲に迷惑をかけることが起きる前には、こうした「火種」があるのでしょう。
ぼく自身、起きてからでないと気づけないこのアンテナを反省するとともに、こういった開かれた場を運営するときの管理方法を(創作方法とは別にして)しっかりと学ばないといけないなと思いました。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:13

運営、性的な問題

【富永10/23】ただ、昨日も例のカメラマンの方が二度来て、さらに長時間居たのでかなり神経をつかいました。カメラマンはずっとカウンターで寝て、その後帰って行きました。市原さんが終始ラボにいたのはかなり大きいと思います。男性がいるだけでだいぶ彼の言動を抑止できるのでは?と思いました。わたしは終始彼に神経をつかっていたので、お客様との会話に没頭することなく視野を広くしていることができたので結果良かったですが、ラボに男性がいないときの暴走は心配です。

森さんから報告があった方と、ぼくも初めて対面し時間をともにしました。
どうもぼくはいけませんね、彼がなにをどうしてそんなことになっているのかを知りたいという興味がありました。
この日、見ていて不思議だったのは、森さんや牧田さんが報告するように、女性に対し執拗にコミュケーションを取りたがったり、過激な発言をしたりすることは無かったということです。
男性であるぼくが全体を見ている状態だったということがそれを抑制したのかもしれません。

また先述したキャバ嬢トーク改め「サービストーク」だと彼に思わせるトリガーが(彼自身のなかにも)あり、それに酔っていき、過激な発言や大きな勘違い(デートのお誘い)が起きてしまったという予想もできなくはないです。

今後、こちらが曖昧な態度を取り続けることは、よくないことだとはっきりと自覚しました。
これらは、創作とは切り離してキッパリと対処すべきです。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:21

中学生の登場と役割

【牧田10/24】夕方、23日にラボに来た女子中学生2人組のうちの片方(Y)と、Mが2人でラボにきました。
YはK君と、Jのことも知っているみたい(17時ちょっと前くらいにJがラボにきたら、うれしそーに「Jー!!」と言ってJに駆け寄り抱擁してました。)

小学校でいっしょ過ごしても(つまり同じ地域に暮らしていても)、中学校に入ると別々の学校に通ったり、後輩である小学生にはもちろん会えなくなります。
それが、お互いに別の動機でFに通い出した結果、ここで出会うということが起きました。
中学生は、それから用事がなくてもFに滞留するようになりましたね。
そして、小学生中学生がいっしょにしゃべったり遊んだりしている姿を見るようになりました。
あたりまえですが、上級生がいると小学生の振る舞いもまた違ってきますね。
地域のなかに、こういった機能を持つ場所があればいいなと、素直に思えました。

実際に、チラシを書くところまで発展しましたね。
Fのチラシは地元の中学生が書いているんだぜ、ってこれ本当に自慢していいと思います。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:38

Fメンバーを描く少年

【中川10/25】KくんがFキャラなるものを書いてくれて、壁にはられています。時々インタビューを交えて観察を元に作られるキャラクターを通じて、Kくんの眼差しがよく見えました。眼差しを通じて描かれるその人の特徴が時に核心をついているようにも見え、(後略)

Fにいるメンバーひとりひとりを観察、ときにインタビューしながらそれをキャラクターとして描く。
そんなプレゼントをしてくれる少年が登場します。
日曜日になると必ずここにやってきて、ひとりでぶつぶつ言いながらも遊んでいる姿が印象的です。
最初は、彼が書いた絵を「もう一度きちんと描いて」とお願いし『Fガエル』なるものが誕生しました。
それにぼくが立ち合い、これをこうした方があーだこーだ言っていました。
それが、ぼくの知らないうちにメンバー全員分の絵が誕生するとは、彼のパワーには驚きです。
彼は、ひとりで遊んでいるなかでも、ぼくたちをしっかりとのぞき込んでいたことがわかりました。
そして、その結果、この場所への返答としてあんなに多くの絵を与えていただいたような気がします。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:44

ドラマトゥルクとして森さんから俳優へある、プロジェクトや作品への関わり方のフィードバックはとても的確でありがたいです。
創作者であるぼくがいない間もメンテナンスをしてくれ得るひとがいるというのは(もちろん楽もできますが)、一方でぼくが作品と距離をとり客観視する時間を与えてくるということにもなります。
終盤、ほかのプロジェクトも抱えるなかどんどん忙しくなる身において、そういった気づきを、多くいただいたような気がします。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:55 

であい/まざった来場者が、誰かを巻き込み影響し始める

【新田10/26】Hと同い年、同じ小学校のKくんが遊びに来ました。それと、前に遊びに来たという中学生たちも、また新たに友達を連れてきました。ここに来て、輪が急速に広がっている感じ。今後も遊びに来るかと思います。それぞれの友達の輪が、繋がっていったり重なっていけたら素敵かなと思います。

Fのなかで大事にしてきたものを持って日常へ戻り(それは蝶々が花粉を運ぶようにして)こどもたちが全く新しい出会いをこちらへ運び始めました。

この頃から、こどもたちの層が厚くなってきましたね。
たとえば、別の学校のこども同士がFでいっしょに遊び始めました。
地元の小学校と中学校に縦の串を通し、他地域のこどもたちへ横の串を通し、どんどんと点だったものが線に、そして円になっていくイメージで眺めていました。

【新田10/26】ハロウィンに向けて、きょうで装飾や絵がとっても増えました。きょうのフィードバックで出たことなのですが、J&Hなどは、はじめの頃は大人とも遊べていたのに、いまはあまり遊べない→つまらない→何かしたい→それも許可できない場合→ストレス→近くにいるひとに当たる→ケンカ という流れかもしれないという。

つまり、最初から来ていたこどもたちからすると、最近は他のこどもたちも増えて、前よりはかまってもらえなくなるという不満が噴出しているということでもあります。
ぼくは、わざとそこにとどまるように気をつけました「ぼくは忘れてないよ、あなたたちのおかげだよ」という心持ち。

この日のJ&Hには「ハロウィンの飾り付けはまだ」という蓋がしてあったので、ぼくが取り外しました。
「あなたたちの好きなようにしよう!」と最初に立ち会うと、水を得たようになりましたね。

【新田10/26】きょうはそのエネルギーは飾り付けというポジティヴな方向になったので、(そしてそれが他の子にも伝播したので、)一気にものすごくラブリーな部屋になりました。子どもたちのなかにはそれぞれにいろんなエネルギーがあります。なにをしたいのかを察知し、できる限りのことはやらせてあげたり協力することで、よい方向へその力を発揮させてあげられるといいなと思いました。
新しいことや新しい友達に目を向けてしまいがちだけど、ずっとそこに居てくれ新しいものと混ざり続けてくれた彼らの有り難さが、いまは本当にしみて来ますね。

市原 幹也2014/12/6(土) 0:59

迅速な情報共有

【富永10/27】取り急ぎ、共有すべきことを書かせて頂きます。
今日18時過ぎ、ラボからの帰り道でHとNが隣の鳩のおじさんとトラブルを起こしました。

富永さん、遅くまで対応してもらったにも関わらず、迅速な共有をもらい感謝しています。
ぼくも離れていたタイミングでの出来事に、急いで駆けつけましたが、富永さんの冷静な判断があったからこそ、一時的な感情的を伴うトラブルは回避できたのではないかと思います。

市原 幹也2014/12/6(土) 1:28

どちらでもない、どこにもない考え方を発明する

【藤原10/27】暴力をいかに解除するか、あるいはいかに代替するか……が演劇の最大の役目だと自分は考えています。力でもって力を制す、ではない何かがきっとあるはずです。

先述している「在る/無い方がいい」と決めることや、ものごとを二極化して捉える単純さや暴力に甘え怖じけることなく、ぼくはよくわからない(目には見えない、耳には聞こえないかもしれない)儚いものにも勇気をもって光をあて、ときには触りたくないものをも大胆につかみ取り、新たな選択肢を発明しなければなりません。

なぜにそれを使命として握りしめているのか、自分でもまだわからない部分は大きいのです。
ちからくんは、みなさんはどうでしょう。

大げさに聞こえるかもしれませんが、歴史を振り返ってみると、演劇や音楽の力を利用すれば大勢のひとを殺すこともでき得ると言えるかもしれませんね。
閉塞した状況下で集団享受する歓喜の仮面をかぶった統制と排除の力は、ひとりひとりの人間の尊厳を知らず知らずのうちに弱体化させます。
反面、こうした状態(いまの日本はどうでしょう)に拮抗/打開し得る力も、演劇は持っています。
この両方を持った演劇の力を手にして、ぼくが日本各地や外国(まだ韓国だけですが)を歩き、自身と他者との間に生じる差異と出会い、あらゆる価値観と混ざり合いながら考えることは、それをいかに使うかということです。

このような場所や作品をいっしょに作り上げることができたみなさんと考えるこれからのこと、終わってしまったら会う機会が減ってしまいますが、それぞれの道でいつまでも力強く悩みもがき、いつかまたそれぞれの差異を持ち寄り、演劇の場で発揮したいと思います。

市原 幹也2014/12/8(月) 1:45

こどもと地域住民

【富永10/27】昨日は共有事項として書かせて頂いたので、今日は私の所感を。おじさんは昨日起きたことが特別、というよりは溜まっていたものの限度を超えた、という印象。今回のことよりは今までの話も引き合いに出していたので。

この事件が起こる前に、何度かおじさんはFに苦情を伝えに来ているらしいですね。
F周辺の外で遊ぶ「こどもを静かにさせて欲しい」との苦情。(これはここで共有されてたかな?)
そして、Fを閉めた後、帰り道で彼女らがした事件だったわけです。

こういった場合、他の施設ではどういう指導をしているのか気になりますね。
例えば「帰り道のこどもがうるさい」と学校へ連絡があった場合、教師はどのようにに注意?
他、塾帰りに塾へ苦情。少年野球帰りに。コンビニ帰りに。ディズニーランド帰りに。

ぼくたちも彼女のことは知っているけど、この場所から離れた彼女たちの管理責任はないと思います。
でも、「カンケーないです。」と、割り切れない気持ちがあるのはなぜでしょう。
「この地域に踏み込んで創作をしているということ」は、どこまでの権利と義務があるのでしょうか、ないのでしょうか。

以前、岸井さんとワンダーランドのインタビューを受けた時に、同じような質問がありました。
「アーティストが地域に踏み込んでいい領分」とは?
部分的に共有しても文脈を掴みきれないと思いますが、抜粋。

***

市原:僕は山口県出身なので、北九州には元々の縁はないんです。何の縁もない場所で、あれだけのものを作れたっていうのは、一緒に作った人がいるってこと。それまで応援いただいた多くの演劇関係者を含め。それは、八百屋だったり蕎麦屋だったり和菓子屋だったりして、僕は演劇屋でね。ほんとに「町」と一緒に作ったんです。そこから引きはがされる。人間ですからそんなことはすぐにはできない。どちらの側も、お互いに心の準備をしながら離れて行かないと。このことを考えると涙が出るって言う地域の協力者もいた。最後に一緒にお茶を飲みながら、いなくなるね、そうだねって話す、そういうエグジットするための時間が必要だと考えましたね。
 そうこうするうちに、どこまでがアーティストの踏み込んでいいところなのか、どこまでが我々に許されている領分なのか、そこには慎重になったと思います。
 そして、始めたなら終わりを考えていなくてはならない。枝光でやってるときには、終わりがあるとは思ってなかった。今はその終わり方にとても興味がある。終わりを作ること込みで拠点形成型・滞在型プロジェクトである。終わりをデザインすることがいかに大事かに気がついた。

岸井:市原くんはすでに抜け方を考えなくちゃいけないとわかったから、もうあまり混乱しないと思うんだよね。これまではそうじゃなかった。枝光に松田正隆さんをお呼びした時、市原君は「死ぬまでいる」「この商店街の墓守をする」って発言してました。僕はそこに引っかかって、すごく重要なことじゃないかって言ったんです。

市原:僕は、その人の最期にそばにいるとか、お葬式に出るとか、お墓に手を合わせるとかはなるべくしたい。ずっとべったりはできないけど。

岸井:結局付き合うって、葬式に出るってことですからね。僕はあの頃、枝光にたった2か月しかいなかったのに、ある人の初恋の相手の写真まで見てるんです。こんな濃密に付き合ってる人はいないだろうっていうぐらい。それでもやっぱり、たった2か月の付き合いなんです。今、アーティストのみなさんが地域に出て行き始めてるけど、そのことには今後直面するでしょうね。柴幸男君にしても、果たして君は葬式に行くのかって思う。

***

記事がもう少しで出ると思いますので、読んでみてもらえると嬉しいです。
いっしょに考えられたら。

市原 幹也2014/12/8(月) 2:06 

警察との連携、でも

【森10/28】S山さんが昨日の件について改めて報告くださりました。学校の方に話はあげて、学校の方で犯人を調査しわかり次第被害者ご本人様に直接連絡するとのことです。もうこちらの手は離れた問題ではあり、学校からも子供たちにここへ来るのを禁止したりはしないそうですが、居着きにくくはなるでしょうね、と話してました。実際今日は来ませんでした。

NPOや警察、中区、商店会、PTAなどが参加する初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会なるものがあります。http://kogane-x.koganecho.net/

リサーチのために昨年は継続的に出席していました。

先の事件のように、この地域で起きたことをそれぞれの見守りの視線・行動で把握し、お互いに共有。対処してくことができる重要なネットワークです。
このことで、多くのことが解決し、よりよりエリアマネジメントを達成しているのは確かです。
黄金町エリアという10年前まで違法飲食店がならぶ特殊地域を、こういった組織を中心に浄化し、現在はアートでまちづくりをおこなっている最中です。

さて、ぼくたちのような地域と密着するアート活動をしていくなかでは、アートが普段では見ることのできないものを見て、聞こえてこない声を聴くことが多くあります。
例えば、ぼくたちが出会ったこどもたちの多くは、親と過ごす時間が極端に少ない/ごはんを食べさせてもらっていない/お金がないので盗みを働く/地域住民(大人)との付き合い方がわからない、などの多くの問題行動を見せながら、その奥にある「とある闇」を垣間見せます。
一見すると綺麗になった黄金町エリアかもしれませんが、それでも地層の奥深くにかつての特徴がまだ渦巻いており、それを演劇活動(アート)によりあぶり出したのかもしれません。
さらにいうと、こどもだけではなく、地域住民や来場者にさえ、それを見いだすことが多かったです。

これらは、毒を注入した拒絶反応のようなものかもしれませんね。
アートは、毒です。
薬ではないと思っています、何を解決できるというのでしょう。
この毒は、正しく使えば、カラダのあらゆる病原菌をあぶりだし、それはその病気の予防に利用することができます。

これを、アーティストが自覚的にやり、地域に還元することはとても有意義なことです。
それは作品やプロジェクトではなくても、小さな情報でもいいのかもしれませんね。
なによりこれこそが、まちで/まちと創作をさせていただいたアーティストの大きな義務かもしれません。
今のぼくは、そう感じています。

市原 幹也2014/12/8(月) 2:17

演劇人のための拠点ではなく

【横井10/29】バザールのパスポートを持って遊びにきた大学生の女の子と、演劇のお話でおしゃべりをしていたら、 飄々とした雰囲気の男の子がふらっとやってきて、カウンターに座って3人でおしゃべり。男の子は演劇も結構見ているらしく(『演劇最強論』も持っているらしい!)、好きな劇団は「快快」とのこと。

演劇人が集う拠点はすばらしいですが、Fではそれと同時にこのような方が少なくなかったですね。
演劇のことが知りたい、けどどうしたらいいかわかならいから、ここに来た人たちです。
中学生演劇部をはじめ、高校生、そして演劇部顧問の先生、演劇サークルなどなど。
劇場に行って作品を見るのもいいですが、Fのような駆け込み寺(寺子屋)のような場所があってもいいですね。
以前、北九州でやっていた劇場にも、突然、高校生演劇部がやってきて「私の書いた台本を読んでください!」ってのがありました。
後日、一度だけ稽古をして差しあげました。
舞台芸術の殿堂や創造拠点は、横浜にもあります。
ぼくたちのやったこの拠点は、舞台芸術の入口?玄関?家?なんだったのでしょう。

次々に友達や家族を紹介してくれる

【横井10/29】夜になってJ&Hが、お母さん・お父さん・妹・Pッキー(チワワ)を連れて、遊びにきた。

終盤になると、初期来場者が友達や家族を連れてここに来ることが増えましたね。
もしかしたら、ここが11/3に終わるということを知ったからの行動かもしれないです。
見せておきたい、伝えておきたいものがここにあったのなら、それは本当にうれしいですね。

市原 幹也2014/12/8(月) 2:31

猫が来場する」

【牧田10/31】白とベージュのまだらで、瞳はきれいなブルー、左耳の先が欠けてる猫が、縁側に。昨日の朝も来てました。縁側で爪をといだり、ラボの中に入ろうとしたり。

この時期になると、猫が中に入って来るようになりましたね。
彼らは、違法飲食店時代からここで暮らしており、本当に黄金町の重鎮と言った感じです。
ぼくが初めてこのまちに来たときに、睨まれたあの目は、本当に忘れられません。

「よそものが。おまえはなにをしにきた?」
ぼくと同郷の詩人、中原中也『帰郷』にあるあの声に似た。
まちまちで創作をさせていただいているぼくが自問自答していることを、黄金町に暮らす年増の猫が言い放った気がしたのです。



帰郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁〈(えん)〉の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐〈(つ)〉く
あゝ今日は好い天気だ
    路〈(みち)〉傍〈ばた〉の草影が
    あどけない愁〈(かなし)〉みをする

これが私の故里〈ふるさと〉だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦〈としま〉の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ



ぼくも、かつて演劇なぞをするとか両親に言い放ち、故郷には本当に帰り辛かったです。
今でも、そうですが。
そんななか新しいまちに行くたびに、故郷の風景や、いっしょに演劇をした八幡のひとたちを思い出します。
なぜかFのみなさんも地方生まれが多かったですよね。